久しぶりに本を読みました。
岸政彦さんの『断片的なものの社会学』です。

岸政彦『断片的なものの社会学』特設ページ


私がなぜ著者名を敬称略とせず、さん付けで呼ぶのかと言いますと、ずいぶん前からこの人の書く文章のファンだったので、なんとなく昔から良く知ってる人のような気がする、というミーハーな心理のためです。

岸さんは大阪在住、猫好きの社会学者で、大学の先生です。
まだSNSが影も形も無かったような頃(それどころかブログという言葉すらなかったような頃)から、Sociologbook(ソシログ)という個人サイトを続けてらっしゃいます。
大阪には、サービス精神が旺盛で、会話の組み立てが上手な人が多いですが、岸さんがネットに書かれている文章からもそういう面白さを感じます。
文芸作品としての技巧的な文体ではなく、目の前で大阪のおもろいおっちゃんの話を聞いてるようなリアリティがある文体。
その真面目で静かだけど面白い語り口には、一度読んだだけではまりました。
(ただソシログは何度かのサイト引っ越しを経て、昔の文章はもう残っていないようです)

この本は、岸さんという人の人となりについて知りたくなるような本です。
書かれていることを、誰かに読ませたり、分かち合いたくなるような本でもあります。
そして、岸さんに(あるいは誰かに)自分の人となりを話し、それを語って貰いたくなるような本でもあると思います。

この本には、フィールドの聞き取りで得た人びとの話だけでなく、岸さん本人の話も多く語られています。
その内容に呼応するように、この本を読んだ多くの人が、ネット上に書評や感想をアップし、この本に収められている断片的エピソードのあれこれを引用したり、とりとめがなくかけがえのないその人の個人的な思い出を語ったりしています。
読み手によって、どの部分に強く惹かれたのかがかなり分かれるようで、それら書評に引用された箇所をあつめたら、1冊まるごとになっちゃうのでは?ってほど。

上野千鶴子さんが面白いことを書いてます。
引用を重ねると、いくらでも引用したくなる。「分析されざるもの」を記述する文体そのものが、分析を拒む。全文引用したくなるくらいなら、書評の敗北である。
書評「断片的なものの社会学」 ちづこのブログNo.101

ネット上にアップされたそれらの文章は、客観的書評というよりは個人の内面の告白に少し近いような、でもあくまでも本を読んだ感想なので、そこまで重い話でもなく・・・という微妙なバランスを保っていてそれぞれ面白く、どんな人が書いてるんだろう?と興味をそそられたり、その人が書いた他の書評も読んでみたくなったりします。
まるで断片的・個人的エピソードが連鎖していくようです。

なぜこんな現象が起きるのかというと、人って、人からぶっちゃけ話を聞いたら、お返しに自分もぶっちゃけ話をしたくなるもんだから、じゃないでしょうか。
胸襟を開く、ってやつ。
本なのに、なんか人っぽいんですよね、この本。
真面目な内容の本ですが、心がオープンマインドな人と深い対話をしたあとのような、気付くとその会話の内容を反芻しちゃう時のような、せいせいした気分になれます。